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「人生初の貸切参加で162に乗る」(後編)今日の南海+阪堺乗車録(2024.11.30)

公開日時: 2024-12-05 12:34更新日時: 2024-12-07 16:49:03(中編の続きです)

貸切参加

浜寺駅前→天王寺駅前 162

阪堺電車 モ161形 162
こうして、半日に及ぶ撮り鉄旅の後にやってきた貸切乗車。

乗車してさっそく目に付くのは、戦前ならではの装飾性の高い金物が付けられた仕切り壁。
162号車 貸切運行 - 10
戦後になると鉄道車両にもモダニズムの意匠が広く用いられるようになったため、今ではこうした装飾を持つ鉄道車両はジョイフルトレインなど一部に限られています。

162号車 貸切運行 - 15
1928年製の非冷房車ということもあり、近年はほとんど定期列車に充当されなくなっている161形。こうして貸切でもしない限りは、そうそう乗車可能な機会はありませんね。

そして、貸切列車はいよいよ二十数名の参加者を乗せて発車。
162号車 貸切運行 - 12
木製の窓を開ければ、阪堺でも少数派となった吊り掛けモーターの唸りと、大正期に設計されたリーフサスペンションの軋みが聞こえてきました。

他方、締切の窓に目をやると、この車両の手摺りは全て真鍮製の様子。
162号車 貸切運行 - 11
今では鉄道車両の内装材で強度の求められる部位に使用される金属といえばステンレス鋼が定番ですが、ステンレス鋼の製造方法は1910年代の発明であり、この車両が製造された1920年代にはまだ一般的ではなかったという歴史の一端を垣間見ることができます。

また、この手摺りが取り付けられている内装材ですが、よく見ると、塗料の剥がれた箇所からはちらりと木材が見えています。
162号車 貸切運行 - 14
復刻塗装化に際して内装も復元された161号車では、161形が半鋼製であることがよくわかりますが、この162号車も同じく半鋼製。
製造年から逆算すると、この塗料の下にある木材は明治初期に植林されたものでしょうか?

ちなみに、先程の写真に写っていた停車案内は、降車ボタンを押すとこのように点灯。
162号車 貸切運行 - 13
こちらの停車案内はもちろん後年の改造で取り付けられたものですが、それでも50年くらいは経っていそうですね……

などと車内の様々な部分を観察しながら、他の参加メンバーのどんちゃん騒ぎを聞いていると、列車はあっという間に終点の天王寺に到着。

かぁくんにとって初めての貸切乗車は、短いながらとても濃厚なものとなりました。

帰り

天王寺駅前→我孫子道 606

阪堺電車 モ601形 606
貸切乗車のあとは、天王寺駅前で解散し、貸切列車は回送に。
貸切に集まったメンバーは、そのまま浜寺駅前方面に折り返して帰宅するグループや、天王寺周辺の飲食店で二次会に突入するグループなどに分かれることに。

かぁくんは混雑していた先行列車をパスした後、Standing Flower氏とともに後続列車で我孫子道へ向かいます。

帰宅ラッシュと重なったことで既に後続列車目当ての乗車列が形成されていましたが、先行して162号車の入庫を見送ることになった主催者グループと合流したい意図があったため、この列車をパスする選択肢は既になし。
ここでの展望席確保は絶望的かに思われましたが、乗車列には大和川以南に向かうためにこの列車をパスする人が複数含まれていたこともあり、辛うじて背面展望にありつけました。

我孫子道→浜寺駅前 705

阪堺電車 モ701形 705
我孫子道では主催者グループと再度合流してしばらくの談笑の後その場で解散。ここからはかぁくんの単独行動です。

この日最後の阪堺乗車は先程も同じ区間で乗ったモ705となりました。

浜寺公園→紀ノ川 C#3516 (3515F)

南海電鉄 3000系 3515F (C#3516)
シメは最近定番になっている3515Fに乗車。
改札がホーム南端にあることにより、現在は安定して下り列車の先頭車で着席できる浜寺公園ですが、高架化後はどうなるのでしょうか……?

最後になりましたが、今回同行したみなさま、そして、貸切列車を運行していただいた阪堺関係者のみなさま、ありがとうございました!
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